数年前まで「自分は性格が悪いに違いない」と思っていました。
同時に「自分は冷たい人間だ」とも。

人が感じる「かわいそう」という気持ちが、どうも多くの人と違うのです。

たとえば日本で大規模な災害が起こったとします。

そのニュースを観ても、特に心がざわめかないのです。
「大変なことが起こった」と認識はできるのですが、悲しい気持ちにはなりません。

また私はどうも、日本の災害も、アメリカの災害も、アフリカの災害も、同じ力量で認識しているようです。しかも、極めて客観的に。自分の感情は挟まずに。

なので「自分の国の人を救いたい」とか「自分の故郷を守りたい」とか、そんな気持ちが正直、わからないのです。私にとっては、日本で被災にあった日本人も、フィリピンで被災にあったフィリピン人も同じように思えてしまうのです。

思えば、幼稚園、小学生の頃から「自分の組」を応援するのが嫌いでした。
いえ、「嫌い」ではなくて、「なぜ自分の組を応援するべき」なのか、わからなかったのです。

私は白組。だから、なぜ白組を応援しないといけないの?
私の好きな人は赤組にいるよ、その人を応援したいよ、なぜ、だめなの???

このような私は、学校ではおよその先生には好かれませんでした。
なかには私を憎んでいるような先生もいました。

理由は恐らく私が:
「みんなと同じようにしない」
「言ったとおりにやらない」
「何を考えているかわからない」
「他の生徒に悪い影響を与える」
。。。といったところでしょうか。

中学の美術の先生からは「おまえは将来、ろくな人間にならない」と言われました。

高校の担任の先生からは、ある日、職員室に呼び出されて「おまえの書いた作文を読んでいると腹がたってくる!」と、怖い顔で言われました。

「極め付き」は高校3年の美術のクラス。美術では、どんな作品であろうと作品を提出すれば赤点をとることはまずありません。その美術で、私はきちんと作品を出しているにもかかわらず「赤点」をとりました。これは当時、学校で少し話題になりました。
「美術で赤点!? いったいどうすれば赤点をとれるんだ? そいつは一体、なにを提出したんだ?」

なので、学校が嫌いでした。
いま、大人になって嬉しいのは、なによりも学校に行かなくてよい、ことです。
これだけでも「大人になってよかった!」と、つくづく思います。

子供の頃から、周りから
「おまえはサラリーマンには絶対になれない」
と言われていましたので社会にでるのは心配でしたが、幸い「コピーライター」というヤクザな仕事を見つけて、運よく広告代理店に就職できました。

それから数十年の時が流れました。

私は、アメリカのスポーツジムでエクササイズをしながら、
岡田斗司夫さんのYouTube動画を観ていました。

「サイコパスの人生相談」

「サイコパス」という言葉は知っていましたが、よく理解しておらず、なんとなく「冷酷な犯罪者」と思っており、もちろん、私とは無関係だと思っていました。

岡田さんは曰く、岡田さんはサイコパスだそうで、その理由をいくつかあげていました。

その理由の中には私にかなり当てはまるものも。

(後半に続く)